城の再発見!
駿府城天守の復元方法をめぐる「小さなコロンブスの卵」



2013年3月3日 第144回
駿府城天守の復元方法をめぐる「小さなコロンブスの卵」

天正10年5月、徳川家康一行は安土城におもむき、織田信長みずからの饗応を受けました。

その半月後には本能寺の変が起きたわけですが、この時、家康らが目撃した安土城天主の印象は、間違いなく後の駿府城天守の造型に反映されたはずだとも言われます。

ですから駿府城天守こそ、最後にして、究極の「立体的御殿」であったと申し上げるべきであり、奇しくも『信長公記』類の安土城天主の記録ほどではないにしても、建物の要点はしっかりと『当代記』等々の文献に記録されました。

その記述内容はもう良くご存知のことと思いますが…

(『当代記』此殿守模様之事)

元段  十間 十二間 但し七尺間 四方落 椽あり
二之段 同十間 十二間 同間 四方有 欄干
三之段 腰屋根瓦 同十間 十二間 同間
四之段 八間十間 同間 腰屋根 破風 鬼板 何も白鑞
            懸魚銀 ひれ同 さかわ同銀 釘隠同
五之段 六間八間  腰屋根 唐破風 鬼板何も白鑞
          懸魚 鰭 さか輪釘隠何も銀
六之段 五間六間  屋根 破風 鬼板白鑞
          懸魚 ひれ さか輪釘隠銀
物見之段 天井組入 屋根銅を以葺之 軒瓦滅金
     破風銅 懸魚銀 ひれ銀 筋黄金 破風之さか輪銀 釘隠銀
     鴟吻黄金 熨斗板 逆輪同黄金 鬼板拾黄金
           

この他に、例えば『慶長政事録』には「三重目 九間に十一間 各々四面に欄あり」とあって、三重目の造りが二重目までとはちょっと違っていた可能性がある点や、「七重目 四間に五間 物見の殿という」とも書かれていて、最上階の規模もちゃんと分かる点など、ご承知のとおりです。

で、これほど詳しい記録があるにも関わらず、それにしては諸先生方の復元案がかなり、かなり相違していて、こうまでも<専門家の足並みがそろわなかった>のは何故なのでしょうか?

そこには、そうなるだけの「落とし穴」が、文献の文字情報そのものの中に、コッソリと潜んでいるからではないのかと思われます。例えば…


<普通に読めば「五重天守」なのに、屋根が六層になってしまう… この怪現象は何なのか??>


文献に書かれた各重の規模を 単純に積み上げると…

前述の『当代記』に類似して、たいがいの関連文献にある「屋根」と「腰屋根」は合計5つであり、したがって駿府城天守は五重七階であったと、すなおに読み取れそうなのに、いざ立体的に検討を始めますと、屋根が6つ!必要になってしまうのです。

これこそ文字情報の中に潜んだ「落とし穴」のせいだと思われ、諸先生方の復元がバラついた最大の元凶のように思われます。

(大竹正芳「駿府城」/西ヶ谷恭弘監修『名城の「天守」総覧』1994年所収より)

駿府城天守の五階と六階の逓減(ていげん)率は平側が一間差、妻側が二間差と一定でない。これは望楼型天守によく見られるパターンである。

このように逓減率の不規則さを指摘されていた大竹先生は、ご自身の復元画では、幕府直轄の層塔型の名古屋城天守などに、望楼型に近い慶長度二条城天守などの要素(入母屋屋根を交互に重ねるスタイル)を兼ね備えた天守として描かれました。

しかし私なんぞは、いっそのこと、現存の松本城天守に見られる、逓減率の不規則な扱い方(層塔型の変則形)の方が、今回の謎解きのヒントになるような気がしてならないのです。

層塔型の松本城天守 / ただし最上階とその直下の階は この東西面では同じ幅になっている

同じ階の南北面の方はふつうに逓減しているため、この部分の屋根は上下階の不規則な変化になんとか対応していて、一般に松本城天守と言いますと、れっきとした層塔型天守とされるのに、部分的にはこういう“荒業”もやっているわけです。

しかもここで是非とも、ご注目いただきたいのは、最上階屋根の大棟は、この「変則形」の長短とは90度ちがう方角に向いている、という点なのです。(!!)

これは大変に重要なポイントではないかと、かねがね感じて来たのですが、その上、駿府城天守はこの松本城天守を参考にして築かれた、という所伝もあるそうでして、仮にこの「変則形」をそのまま駿府城天守の記録に当てはめてみますと、アッと驚く「コロンブスの卵」があらわれます。

すなわち、最上階の直下の六重目は、桁行と梁間の数値が、実際とはひっくり返った形で『当代記』等々の文献に記されて来たのではないか!?… ということなのです。

「小さなコロンブスの卵」

否、前言を小訂正。冒頭の引用文をもう一度ご確認下さい。そもそも『当代記』等には「桁行」と「梁間」の指定がありません!! …まさに「落とし穴」です。

(次回に続く)

作画と著述=横手聡(テレビ番組「司馬遼太郎と城を歩く」ディレクター)

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