思わず姫路城が連想される天守曲輪の内部

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石垣

あの世界遺産の姫路城に行かれたことのある方なら、浜松城の天守曲輪は、足を踏み入れた瞬間、「これは姫路城天守の前の広場に似ている…」と直感されるのではないでしょうか。

その広場は「備前丸(びぜんまる)」と言います。備前丸も、天守曲輪も、天守の南に台形(を逆様にした形)の曲輪として広がっています。
しかも東西に出入口があり、秀吉時代に限れば姫路城も東(との一門)が主要な登城道であったとも言われ、そのうえ天守の北側の帯曲輪に続く形も、どこか似ているのです。

比較

ただご覧のように、両者はかなり広さが違っていて、備前丸は東西約九十m、浜松城の天守曲輪は東西五十数m、面積で約三分の一の規模になります。

しかしこの一件は、浜松城の天守を築いた城主は、ひょっとすると「秀吉の姫路城や備前丸を知っていたのでは?」と思わせてならないのです。
ちなみに、候補者の一人・堀尾吉晴は、いわゆる木下藤吉郎時代から秀吉に仕えた古参の家臣でした。

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