丘陵の上にドーナツ状の土塁と石垣を築いた堅固さ

マスコット

石垣

浜松城は、天守曲輪から東へ、本丸、二ノ丸、三ノ丸と、曲輪(くるわ)を一列に連郭式に並べ、その周りに帯曲輪を配した構造でした。
そのうち、天守曲輪は、最も高い標高四十mほどの丘陵上にあったわけですが、ここではドーナツ状に周囲に土を盛り上げて土塁を築き、その外面に石垣が施されています。

ただしこの土塁は、東西五十mあまりの天守曲輪の規模からすると、やや過大なものであるように感じられます。
例えば徳川家康の以前の居城であった岡崎城には、本丸にこれほどの土塁を盛り上げた跡は見られません。

ここで勝手な想像をめぐらしてみますと、遠江支配のため東(浜松)に居城を移した徳川家康にとって、それは強大な敵・武田信玄の膝元にグッと近づくことを意味したため、そうした家康の防衛本能が、この土塁を築かせたようにも思われます。
そういう土塁が初めにあってこそ、この堅固な石垣が成立したのではないでしょうか。

マスコット+

石垣+


前ページ    次ページ

石垣マップ    トップページ