さらに安土城の天主台下を思わせる石垣の窪み

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石垣

「名城コレクション」の徹底ぶりをうかがわせる場所が、さらに続きます。
先程は全く気がつかなかったのですが、埋門の坂を上がりきった左側に石垣のくぼみがあり、これがちょうど安土城の天主台下の様子によく似ているのです。

比較

ここでもう一つ気づくのは、例の「八幡台」は、安土城の伝二ノ丸、つまり信長廟の場所と、ほぼ同じ位置に当たるという不思議な点です。
そして次の図のように比べてみますと、浜松城の「パズル」のような仕掛けがさらに見えて来ます。

比較

左は浜松城、右は安土城の主郭部を(西を下に)回転させた図です。

ご覧のとおり、浜松城の天守曲輪は、大手の「天守門」の側も、実は、安土城の本丸虎口(西虎口)に合わせる形で造成していた可能性がありそうなのです。
これは三浦正幸先生が「現在、織田信長の墓所となっている所には、安土城本丸の表御殿が建っていた」(『よみがえる真説安土城』2006)とする伝二ノ丸の位置づけとも、符合する構造であるのかもしれません。

その符合は、先程からの「備前丸」の一件を含めますと、「安土城→姫路城→浜松城」という連環であったのかもしれません。
結局のところ、浜松城の天守曲輪とは、恐るべき「執着の造形」のように思われて来るのです。

−終−

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