松江城との関連性が言われる天守台と模擬天守

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石垣

さて、ご覧の天守台の東に張り出した「付櫓台」は、候補者の一人・堀尾吉晴が、のちに築いた松江城天守(下左写真)の付櫓に似ていると言われています。

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しかし石垣の様子は、黒田長政の「福岡城」とも似ているのです。
右上の写真が、その福岡城の天守台の鉄御門跡です。実は、他の特徴も含めますと、天守台の形は、むしろ松江城よりも福岡城に近い、と言うべきなのかもしれません。

石垣+

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また、似ていると言えば、城戸久先生設計の模擬天守と松江城天守は、屋根の掛け方が似た形にしてあります。
最上重の屋根と下の大屋根が、上下とも同じ向きの入母屋屋根になっているのです。

これは古い望楼型天守とは異なる形であって、普通は、二つの屋根は90度違った方角に向け、最上重の妻側は天守入口(大手方面)に合わせるのが古典的であるのに、その点、模擬天守と松江城天守はかなりの「変則型」です。

では何故こうだったのか?という、そもそもの分析は、殆ど無かったようにも思われます。
そこで勝手な推理をめぐらしますと、もし堀尾吉晴が浜松城天守を築いたとするなら、ひょっとすると、そこでの難渋がこうした「変則型」を産んだのではないでしょうか。

問題の「東か南か」をクリアする方便として、かつてない「型」を打ち出すことで、逆に、様々な天守(や天守台)を「コレクション」する道が開けたのかもしれません。
結果的に、模擬天守の最上重屋根の妻側は、無事に天守曲輪の方を向いています。



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