天守入口の反対側に伸びる付櫓台「八幡台」とは?

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石垣

先程のページでご覧いただいた付櫓台を、上から(模擬天守から)見た写真です。

この付櫓台には「八幡台」という名称が伝わり、ご覧のように、天守台の奥に一段高く造られています。
こうした位置づけは、先程の福岡城にも無いことで、「八幡台」とは何だったのか、大変に興味をそそられます。

多少類似したケースを強いて挙げるならば、備中松山城の天守には、同じ建物の中ですが、奥(北寄り)に一段高い部屋として「装束の間」があり、ここは籠城の際の城主の居室であり、落城の時は一族が自害する場所だったと言います。

いずれにしても、こうした浜松城天守の外観は、かなり複雑なものだったと思われます。
入口の反対側にも別の付櫓が突出していたとすると、例えば福知山城天守など、相当に込み入った造りの天守の仲間だったとも想像できるからです。



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