【説明のあるブログ記事はこちら】
A:<ここ半年程のブログ整理 →太田道灌の江戸城は本当に連郭式か。徳川家康の巨大な?天守曲輪を考えれば…>
/ <いったい何を根拠に『金城温古録』は「江戸城の高台は武用なり」と言い切ったのか。驚きの答え>
B:<含雪斎の「斎」は書斎の斎?……詩文上の華頭窓や移築銅櫓の銅瓦を踏まえれば、かの「富士見亭御文庫」の前身かも>
C:<東の泊船亭は小亭=あづまやを締(むす)んで停泊中の大小の船のように。→家康好みの「複合」連結式天守のデザインへ>
D:<最大の難関「静勝軒」は正攻法では答えが無限。どうであれば「――軒」と名付けたくなったか?という逆算へ>
/ <【イラスト先行披露】 それは西国+京+東国を統べる覇者の城館としての「静勝軒プラスα」だったのか>
F:<本題。それは西国+京+東国を統べる覇者の城館としての「静勝軒プラスα」か……『江戸始図』との強烈なる符号>

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